東日本大震災の記憶

この神栖市に於いても、土地の液状化によって住宅が傾いてしまった方、自動車が津波で流されてしまった方、漁船が津波で流されてしまった方…それぞれの立場で辛い思いをされている方がたくさんおりました。
私の生まれ故郷である岩手県大船渡市は、巨大津波を受け、壊滅的被害を被りました。大船渡市に住む祖母は、自宅の目の前にまで迫る巨大津波を目の当たりにし、死を覚悟したそうです。その祖母をはじめ、陸前高田市、釜石市などの親類縁者との連絡が難航を極め、まんじりとも出来ぬ日々が続きました。父親の実家がある釜石市では、大叔母が巨大津波により死亡。今なお、一家全員が行方不明という親類者もおります。
震災直後、意を決して故郷の大船渡市へ。変わり果てた故郷の姿に身震いする間もなく、ただただ絶句するばかり。ここには記述出来ないような遺体安置所の様子、瓦礫の中から遺体を引き上げる自衛隊員の様子、砂埃にまみれて主要交差点に立つ全国から応援で駆け付けた警察官の姿、人が集まりそうな場所を巡っては当てもなく行方不明の息子を探す初老の女性。あの時、故郷で目にした全ての光景は、生涯忘れることはないでしょう。
4年前の今日、不幸にも亡くなられた方々は、まさか今日が自分の命日になるとは思いもせず、いつもと変わらぬ日々を送れるという前提でいつもと変わらぬ時間を過ごしていたのでしょう。そういった方々の無念を思えば、例え今の生活がどうあれ、生きているという現実に感謝せねばなりません。犠牲になられた方々の総ての御霊へ、衷心より追善回向を御祈念致します。合掌
【ここにある画像は陸前高田市へ訪れた際に撮影したものです】
2015年03月11日 10:51